なめこの倉庫

自転車をぐふって受けとめる、川に就職した人に話をきく、泣ける広島県をディスるなど。

「ニッポンのまるが、たくさん増えますように。」-東北で遊んだ話

 

ちょうど1年前の3月11日、仙台にあそびにいって、なぜか3か月後に感想を書いてました。時期も時期だし、ちょっと思い入れもあるので、載せとこうと思います。

 

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この前、じゃなかった、だいぶ前、世界のトーキョーに旅行いったとき、東北にもあそびにいってきた。

 
東北って聞いたらボランティアだとすぐ思っちゃうけど、もっぱら観光でしたので、枝豆のおもちとか牛タン定食とかせんべいとか食べまくった。ぐへへ。

 

ガラス美術館とか十二支記念館だとかも行ってーガラス作品すごくきれいだった。女子力ついた気がする。せんべいとかできたてアツアツのですよ!めっちゃ自由やん、もちろんひとりで。ぼっちで。ぼ
 
 
行動の基本が行きたいところに行こうだったので、おいしいもん食べるのも自分が食べたかったから食べたんだし、見たいから日本三景・松島の夕日も見にいったんだし、感じたいから、海岸沿いの中学校に行って、3.11追悼式の雰囲気も感じにいった。
わざわざ、駅から離れた中学校まで、タクシーで。(遅刻したからです)

 

実際にあの日に津波に飲みこまれた学校で、時刻に合わせて風船をとばしてる様子を、うしろから見た。私のうしろはというと、まっすぐに立ってるはずの頑丈なフェンスが道路にべたってなってたりとか、あとは校舎の時計がよく見たらずっと14時46分だったりとか。
 
 
震災のことって、言いはじめたらキリがない。

たとえば、被災地には自分らが直接ボランティアに行ってあげるのがいいんだとか、いや、そんなことにカネ労力使うんならそれ全部寄付してあげたほうが被災地のためになるんだとか。


“復興”が掲げられたときに、どっちだどっちだってなる時があるけれど、個人的にはやっぱりどっちも大事だと思います。自分の体を東北に持っていってボランティア活動をしてきた人は、それが自己満足でおわったりしていませんか。間接的な支援がいいと言っていた人は、現場の衝撃をまのあたりにしてない分、復興の必要性を感じなくなって、いつのまにか震災のことすら忘れていませんか。
 
 
 
3か月前は、3か月前の今日は、3月11日です。あの日から3か月がたちました。あれだけネットやリアルで追悼だとか復興だとかみんなで言って胸が高ぶった日から、たったの3か月しかたってない。てかたぶん、3週間後にはすっかり忘れてた。へたしたら、3日後には既にどうでもよくなってた笑。


人間は忘れる生き物なのでしゃーない。しゃーないけど、しゃーないからと言って突き放したくはない。別に、復興支援とかボランティアとか、なんでしなきゃだめなのって聞かれると、私はする必要はないと思いますって言う人なんですけど、そうやって議論することで、少なくとも忘れることは減るんじゃないかと。


東京の日比谷であったイベントにいったとき、たまたま見つけてふらっと寄って、わたしは青色でマルをいっこかかせてもらった。写真屋さんによる3.11東日本大震災募金活動らしい。「まる」プロジェクト。

こんなわたしでも、まるを書いてる数秒間と、写真とってもらってる数秒間の、あわせて30秒くらいは、東北のこと考えれてたとおもう。
 
 
またあそびにいきます。今度こそ日本三景の真っ赤な夕日みにいく。まさかの雨女乙。
 
 
みんなも私も、なにもできなくても、考えることだけはやめないで。


次は晴れますように。


ニッポンのまるが、たくさん増えますように。

 

 

 

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